痴呆症の方の徘徊

私の勤めていた特別養護老人ホームには個性豊かな入居者がいます。

今日は入居者の杉田さだ子さんについてご紹介します。

92歳の小柄なかわいらしいお顔のおばあちゃん。

このさだ子さん、見た目は本当に可愛らしいおばあちゃんです。話をしていても穏やかな性格でいつもニコニコしています。

施設のフロアをお散歩したり椅子に座って日向ぼっこしたり、一緒に歌を歌ったり、のんびりした時間を過ごしています。

食事も自分で食べるし誘導でトイレにも行きます。介護度は4か5付いています。(介護度は、はっきり覚えていないのであやふやですが)

普段は本当におとなしく可愛らしいおばあちゃんです。

しかし、この可愛らしいおばあちゃん、実はスイッチが付いています。ひとたびこのスイッチが押されてしまうとさあ大変。形相が変わり、眉間にしわを寄せ暴言激しく手が付けられません。

そうです、痴呆症を患っています。足腰が達者な為、徘徊がひどく何時間でも歩き回ります。施設のフロア内であればどんなに歩き回っていても行方不明になることはありません。疲れたら座れる椅子もあちこちにあります。疲れて椅子に座って休むと元に戻っています。施設内であればそう困ることもないのです。

しかし自宅ではそうもいきません。ひとたび徘徊で外に出てしまえば見つけるのは困難です。このさだ子さん、何回も路上でさまよっているのを保護されているそうです。

 

ここからはさだ子さんの家族の話になります。

 

さだ子さんの自宅はバイパス道路の近くにあるそうです。息子さん夫婦と同居でさだ子さんの旦那さんは鬼籍になります。

ある夜息子さん夫婦が寝静まっている夜中にさだ子さんは自宅から外に出て徘徊していたそうです。寝ているすきに出て行ってしまったため息子さん夫婦は気が付きませんでした。突然電話で起こされ出てみると警察からで、さだ子さんを保護しているとの事でした。あわてて警察署に伺ったそうです。

警察官の話によると自宅から4㎞も離れたバイパス道路を歩いていたそうです。バイパス道路は夜でも交通量はそれなりに多く、轢かれなかったのが不幸中の幸いでした。

さだ子さんの服には名札が縫い付けていた為、身元が分かったそうです。

 

そんなことが何回かあったそうです。当然自宅の鍵を掛けてから就寝しますが、鍵を空けてしまい徘徊するので困ってノーローゼに成りかけていたと話してくださいました。

この息子さん夫婦は困ってしまい、夜にさだ子さんを2階に寝かせ、息子さんが階段の下に布団を引き寝ていたそうです。そうすれば自宅を出る前に気が付くからだそうです。

 

このままではさだ子さんと共倒れになってしまい悩んでいたところ特別養護老人ホーム リトルガーデンのオープンを知り入居申し込みをしたそうです。

(実はもう介護は無理で自殺をしようか迷っていたこともあるそうです)

家族の方が「この施設で預かってもらえて助かります。落ち着いて眠ることが出来ます。痴呆症がある方なのでこれから何があるか解りませんが、何があっても施設に責任を擦り付けるつもりはありません。すべてお任せします。よろしくお願いします」

との話を頂きました。

本当に困っていたんだなとしみじみ思い、自分の仕事が役に立っているんだと改めて感じる話でした。

このさだ子さん、施設でもいろんな事を起してくれました。

 

ある夜勤中の見回りでさだ子さんの部屋に行きました。

さだ子さんが私を見て

「今ね彼氏が布団にいるの、見せてあげるね」

と布団をめくりました。当然誰もいません。続けさまに

「あれ壁の中に消えちゃった」

・・・さだ子さん何が見えているの?

前回の滝戸さん同様、見えない見えてはいけない人が見えている。

ちょっとソワゾワする出来事でした。

このさだ子さんある時は食事中に上を見ながら

「あの黒いの何?」

と天井を見つめていたことがあります。当然私には何も見えません。

しかし見えないはずの物が見えてしまう話はこの後もいろんな入居者から聞くことになりました。やはり健常者と少し違う世界があると感じた出来事でした。

 

また別に日

病院に行き受診終了後の会計待ちの時にスイッチが入ってしまい大変でした。突然待合室で徘徊をはじめ扉をすべて空けて回ります。レントゲン室や診察室など、当然止めるのですが腕を掴もうとすると怒鳴りながら暴れまあります。90を超えたお年寄りの為、暴れるさだ子さんを無理に捕まえようとすると骨折などの恐れがあり無理やり捕まえることが出来ません。何を言っても聞き入れてくれません。

その時は病院看護師と一緒に車に乗せ診察室を離れることが出来ました。しかし、助手席に座らせ帰りの運転をしていると突然横からさだ子さんの腕が伸びてきてハンドルを握られ左右に動かされ、危うく事故を起こすところでした。

運転中に突然ハンドルを握られて軽くパニックになりそうでした。

運転していたのは私自身で何とか施設に戻ることが出来ましたが、施設に着くとさだ子さんは普通のさだ子さんに戻っていて、私の苦労は何だったのか?

と思う出来事でした。

 

専門の設備がある施設では痴呆症の方の生活のサポートは出来ます。

それが専門ですから。

しかし一般の自宅でははっきり言って無理です。設備もありません。仕事など自分の生活をしながら痴呆症の方の介護の両立は無理ですし出来ません。必ず気持ちが切れてしまい、中には鬱病になったり、仕事を辞めなければならなくなったり、共倒れをします。

介護をしたことがない方は介護を簡単に考えます。しかし現実の介護はそんなに簡単ではありません。自分の時間や体力を24時間掛けなければなりません。デイサービスなど行政のサービスを受けても24時間ではありません。介護をされている方より、介護者が先に参ってしまいます。本当に大変です。死ぬほど大変です。中には介護疲れで亡くなる方もいます。

 

そうならないように早めにケアマネなどに相談して下さい。

特別養護老人ホームは介護のプロです。

 

 

夜の滝戸さん

介護の仕事は24時間365日交替勤務になります。当たり前ですが年中無休、盆暮れ正月は関係ありません。当然夜勤勤務に就くことがあります。この夜勤中にはいろんな出来事がありお話を少ししたいと思います。

 

夜勤は21:00からの勤務になります。遅番からの申し送りを聞きパソコンで一日の状況を確認します。「体調が悪い方はいないか」とか「昼間に怪我をした方はいないか」とか「眠剤を飲んでいるのか」とか把握します。

遅番によりほぼすべての入居者が各自自分の部屋でお休みしていますが、なにせ痴呆症の方が多数いますので、寝ない方もいます。寝ないで歩いて徘徊する方もいますし、車いすを動かし徘徊する入居者もいます。

 

私の勤めていた施設はど田舎の山と川しかない所にあります。夜勤中は外は真っ暗です。夜勤はそのフロアには1人しか職員はいません(他のフロアには同じく夜勤さんがいます)夜勤中は入居者に寝てもらうために極力照明は点けずにいますので薄暗い中での業務になるので薄気味悪さと相まって霊的に怖さを感じることがあります。

 

滝戸さんの話

滝戸さんは93歳になります。右腕右足麻痺と痴呆症による昼夜逆転があります。昼間車いすでウトウトすることも多く、夜活発になることがあります。私が夜勤の時に車いすでの徘徊がありました。本来であれば夜勤中は入居者は寝ています。でも寝ない方には飲み物を出したり、その人用の看護師からの預かりの眠剤を飲ませたりすることがあります。でも寝ない方は寝ません。

滝戸さんは夜寝なくても徘徊はするが大きな声で騒いだりはしないので私は徘徊の見守り程度で、「もう寝ましょう」「夜遅いですよ」などと時々声掛けをして睡眠を促します。でも寝ない方はやはり寝ません。

夜中中ずっと徘徊している方もいます。よくそんなに体力があるなぁと思う時もあります。

夜02:00頃になっても寝ないで徘徊している滝戸さんに近づき、「滝戸さんそろそろ寝ましょう」と声掛けすると、左手で窓の外を指差しました。

滝戸さんが私に「ほーら来た、大勢来た、100人位来た」

私・・・

「マジでこの人何が見えてるの」と思い外を覗いても当然何も見えません。

霊的なものをあまり感じない私でも、体に寒気が走る一瞬でした。

 

特別養護老人ホームに入居している方は、高齢や痴呆症などにより健常者とは全く違う世界で生活をしています。全員とは言いませんがほとんどの方が「この世」と「あの世」の中間にいる人です。(この書き方に批判をする方もいるかとは思いますが、特養の仕事をしている方は理解してくれると思います)この中間にいる人にはやはり健常者とは違うものが見えているんだなぁーと思う出来事でした。

 

まだまだいろんな出来事がありますので次回も少しずつお話しをていきたいと思います。

 

 

 

高齢者の転倒

健常者にとって歩くことは当たり前のことです。歩くことは自然なことであり、普通の生活の中で人生を犠牲にする覚悟を持って歩く方はいないと思います。当たり前の歩くという行動。この当たり前の行動が高齢者では当たり前ではないのです。歳を重ね徐々に体の自由が利かなくなり足腰の衰えを感じ段々歩けなくなっていきます。少し歩くと疲れてしまいフラフラします。危ないので「杖」を使うようになり、「手押し車」を使い「車いす」を使うようになります。まだ歩ける高齢者も、お出かけの時は車いす持参になり、少しの距離では歩いても普段は「車いす生活」になって行きます。ではなぜ車いすにするのか、「ゆっくりでも休み休み歩けばいいじゃん」と思うかも知れませんが、足腰が弱いということは転倒のリスクがあるということです。ちょっとした躓きで転んでしまったり、突然貧血を起こして転んでしまったりといろんなケースで転倒が考えられます。転倒のにより怪我をしたり頭を打ったりすることがあります。頭を打つと硬膜下血腫の可能性があります。

 

硬膜下血腫(慢性硬膜下血腫):転倒などにより頭を打ち、頭の中で出血を起こすこと

 

硬膜下血腫は外傷がない時があり(外傷がない場合が多い)見た目では解りません。転倒直後はちょっと痛いくらいで問題ないと思っても、頭の中からジワジワと出血がありある程度の出血が頭の中で溜まると出血の場所により口が利けなくなったり、反応が遅くなったり、食事が摂れなくなったり突然意識がなくなったり、いろんな症状を起こします。最悪「死」に繋がります。

因みにこの硬膜下血腫を調べるには脳外科などでCT撮影をすることがあります。転倒直後にはCT撮影で問題ないのに1~2か月後にジワジワと出血する慢性硬膜下血腫が考えられます。特別養護老人ホーム リトルガーデンでは転倒直後と問題なくても1か月後にCT撮影にて経過観察をしていました。高齢者が1度健康状態から外れると元に戻るにはとても大変です。状況によってはもう元にはも戻らない可能性もあります。転倒して頭部打撲は大変大きな問題になります。

 

転倒し頭部打撲がなくてもよくあるのが大腿骨頚部骨折(股関節の骨折)です。この大腿骨頚部骨折をすると痛みはもちろん歩けません。股関節の骨折なので立ち上がることはできる方もいましたが、足を前に踏み出すことが出来ません。すなわち歩けません。当然股関節を動かすと物凄い痛みが生じます。転倒すると当施設では股関節のレントゲン検査をするために診療所に駆け込みます。この診療所にはCT及びレントゲン撮影ができるので両方の検査をします。レントゲン結果、大腿骨頚部骨折している場合は地元の総合病院搬送になり、1~2か月ほどの入院そして手術をすることになります。この手術をしないと2度と歩くことが出来なくなります。「もう歩かないから手術はしなくてもいい」という家族の方もいますが、歩けない方のほとんどはオムツ対応になり、そのオムツ交換時に耐えられないほどの痛みが生じるのです。なので大腿骨頚部骨折の場合にはほとんどのケースで手術をすることになります。ですがこの手術も高齢者にとっては大きな問題になるのです。

 

痴呆症はあるが歩ける方が骨折した場合、本人が入院していると理解できなくてベットから降りてしまったりして危険な為、拘束をします。拘束とはベットに縛り付けて動けなくすることです。可哀そうに見えますがこの拘束をしないとより危険なことになってしまいます。縛られているので「助けて」「誰か来て」などの大きな声を出します。病院に入院患者のお見舞いに行くとどこからともなくこのような声を聞くことがありますが、それはこれらの方のこのような状況から出た声なのです。

手術が終わっても退院するまでの1~2ケ月は拘束されているため、当然筋肉は落ちるのでこの入院をきっかけに手術は成功しても歩けなくなっていしまう方が大勢いるのです。

痴呆症がない方は手術後数日でリハビリを始めます。しかし高齢者はこの歳での手術や入院で落ち込んでしまい気力がわかずリハビリを行わない方が大勢います。この骨折をきっかけに歩けなくなってしまう方が大勢います。

 

痴呆症でない方でも入院すると環境が変わったことで一時的に痴呆症の症状が起きる方がいます。一時的とはいえ痴呆症になると拘束されます。拘束されるので動けなくただ縛られて寝ているだけ。刺激もなく本当に痴呆症になってしまう方が大勢います。

 

(心臓病や糖尿などの病気が原因で手術ができない方もいます。手術ができないと2カ月は程は痛みが残ります)

 

病院とは治療する場所であって、介護する場所ではありません。治療優先です。介護は二の次になります。ですから治療の為に拘束が許されているのです。

(拘束は入院するにあたって家族に許可を取ります。この許可がなければ病院は拘束できません。拘束できなければ病院としては治療ができないので入院はほぼできません、もしくは24時間家族の付き添いになります)

 

病院は治療する場所

特別養護老人ホームは介護する場所

この違いは大きいです。

 

高齢者はいろんな病気治療をしている方が殆どです。高血圧や糖尿病、心不全などなど。嚥下機能が低下している方も多いです。普段の環境と違うことや、これらの病気も相まって入院中に亡くなられてしまう方も大勢います。骨折で入院したのに「心不全で亡くなった」とか「誤嚥性肺炎で亡くなった」との話はよくあることなのです。

 

入院にあたってサマリーというものを書きます。

サマリーとはその入院患者の普段のADLを書きし記した書類になります。看護師同士では当たり前の書類になります。施設側の看護師が病院の看護師に情報提供をします。

 

サマリーにはその患者の名前から年齢・性別・病気の既往歴・服薬している薬ご飯は何を食べているか・普通食か刻み食か、排せつはトイレかオムツかなど細かな情報が掛かれています。

 

ADLとはその方の頭や身体的な状況を言います。

ADLが高い・・・健常者に近い

ADLが低い・・・健常者から遠い

こんな感じでとらえて下さい。

 

このように高齢者の「歩く」行動は時には命に関わってくることを理解して下さい。

特別養護老人ホーム リトルガーデンでは入居者を家族から預かっている立場なので、拘束させずに転倒させないように気を付けているのです。それでも転倒は度々起こってしまいますが。(転倒した時は家族に一報を入れている)

基本的に特別養護老人ホームでは拘束は禁止です。拘束をした場合には補助金に影響するので、懐寂しい介護業界では拘束はできないのです。

 

入居者の転倒には本当に気を使い業務での負担になっているのです。

 

 

 

 

 

遅番さん夜勤さん勤務

遅番の勤務は12:00~21:00

出勤してまずは申し送り、(パソコンでほぼすべての記録が見れる)その後すぐ昼食の準備及び介助になります。

その後はトイレ介助やお部屋に誘導しベットに移乗します。高齢者はお昼寝をする方が多いです。施設ではあまりすることがない、つまり寝るしかないので余計にお昼寝が多いのかも知れません。時間に余裕が有る時はお庭に散歩に行ったり歌を歌ったりします。

週に1回リハビリを兼ねた運動があります。専門のスタッフにより運動をします。バトンにリボンをつけた物をリズムよく振ったり、合わせて歌ったりです。

勤務して解ったことは、高齢者の時間はゆっくり流れている。アインシュタイン相対性理論ではないが時間の流れが違うと言うことです。自分もよく考えてみると子供の頃の時間経過はとても早く今の時間は遅く感じます。多分歳をとるごとに時間経過は遅く感じる事でしょう。

その後おやつを15:00に食べさせてまた昼寝。トイレ介助しながら夕食の準備、夕食後トイレ介助しながら寝かしつけ20:00にはほぼすべての入居者がベットの上になります。施設の入居者は食べるか寝るかしかないのが現状です。若い職員が何とかしようと色々リクリエーションを考えいろんな行事を増やしていくのはこの後になります。

 

21:00になると夜勤者との勤務交代。夜勤者は勤務に就くと申し送りを受け1日の状況をパソコンにて確認します。0:00頃にオムツ交換、その後見守り04:00頃からまたオムツ交換し06:00頃から起床介助しつつ早番との勤務の交代になります。

勤務体系はおよそこんな感じで行われます。

夜勤は大きなトラブルがなければ比較的自分の中のスケジュール通りに業務が遂行できますが、トラブルが起きるとそれはもう大変です。なにせ痴呆症の入居者が多いので予想もできないことが起こります。昼間働いている方であれば夜になれば寝ます。昼間寝てばかりいれば夜寝れません。夜寝れないと起き出します。そう昼夜逆転です。昼夜逆転している入居者はいろいろやらかします。夜勤者が「勘弁してくれ」と思うことが度々あります。昼夜逆転すると夜寝ない、なら「昼間起きて夜寝てよ」と思うのが普通ですが、介護の現場は人手不足で昼間の職員で入居者に起きててもらうためのリクリエーションなどに掛ける時間がないのです。見守りするにも人手が要ります。でもその人出はありません。見守りできずにその時に転倒などの事故があれば大問題です。だから事故のリスクが少ない 「ベットで寝かせる」ことになるのです。昼寝れば余計に夜寝ません。昼起きてては見守りの人手が足りません。まさに悪循環です。

ではどうづれば?

そこで眠剤を使ったり、痴呆症の入居者には向精神薬を使ったりします。

え、薬で眠らせるの?と思うかもしれませんが、転倒防止や安全の為にしかたがない暗黙の了解の部分になります。

では痴呆症の入居者が夜勤中にどんな行動をするのか私の体験談や同僚の経験をお話しします。

 

・普段車いすしか乗れず歩けない入居者がいます。掴まり立ちをやっとできるくらいの方が夜突然歩き出します。昼間歩くのを見た人は誰もいません。でも夜歩き出すのです。もともと掴まり立ちをやっとできるくらいの方なので転倒します。転倒すると高確率で骨折するのです。

 

・夜の徘徊、私の勤めていた施設リトルガーデンはすべて個室です。各部屋の入口は引き戸になっています。徘徊中の入居者がすべての引き戸を開けて出入りを始めます。夜勤は職員の人数が少なく他のフロアにいると気づきません。中には犯罪まがいのことをする入居者もいます。

 

・トイレやベットも糞だらけ、本当に便を投げる方、食べる方もいます。その光景を見たときは泣きたくなります。

 

・徘徊後の放尿。痴呆症の入居者にはトイレの概念がありません。どこでもトイレです。突然放尿をしだします。出ているものは終わるまで止まりません。呆然とします。

 

・冷蔵庫荒しが出没します。各ユニット(入居者10名1ユニット)に冷蔵庫があります。当然冷蔵庫なので食べ物飲み物が入っています。知らないうちに中身がなくなっています。口をもぐもぐする入居者、でも食べてないと言い張ります。

 

・行方不明。私のフロアは3階の為ベランダがあります。当然ベランダには鍵がかけられて出れないようになっています。しかしいつのまにか鍵が開けられベランダにいるのです。(後日追加の鍵が増やされました。)

誰もいないはずの夜勤中にベランダから音がするのは怖いです。

 

・帰宅願望。突然夜勤中に服などの自分の荷物をまとめ帰ろうとする入居者がいます。時間は02:00、帰れるわけがありません。宥めるのに骨が折れます。

 

・歌。突然大声で歌を歌い出す入居者がいます。ビックリしますよ。シーンとした夜勤中に突然の大きな歌声、心臓に悪いです。

 

夜勤中以外にもいろんなトラブルは当然あります。

もっと詳しくトラブルもいずれ書いていこうと思います。

 

毎日の大まかな勤務体系と業務はこんな感じです。その他季節ごとの行事などがプラスされていきます。その話はまた次回以降にしていきたいと思います。

 

勤務体系

特別養護老人ホーム リトルガーデンでの勤務体系は

6:00~15:00 早番

12:00~21:00 遅番

21:00~06:00  夜勤

9:00~18:00  日勤

と分かれています。

基本3交代勤務、補助で日勤勤務や他にパート勤務の方が加わります。

 

早番は朝勤務に就いてすぐに夜勤さんから申し送りを受けて入居者を起こし、食堂に連れて行きます。起こすと同時にトイレ介助、朝食の準備に取り掛かり、朝まだ仕事に就いたばかりで体が温まる前から大忙し。この早番の業務が多分一番大変だと思います。1人での業務になります。起こす入居者は10人、1人で起きてこられる方はあまりいません。10人の移乗だけでとても大変です。(移乗とはベットから車いす車いすから椅子など移動させる業務)

食事は厨房から大きな鍋やタッパーのようなものに全員分入れて運ばれてきます。入居者を食堂の椅子に座らせてタッパーから個人個人のお皿や茶わんに振り分けます。前回説明した通り、入居者ごとに細かく食事形態が分かれています。この食事形態を間違えると大げさではなく入居者の死に繋がります。そう誤嚥性肺炎です。健常者が食事を摂取するのに命がけで食べる方は今の日本にそうはいないと思います。だがしかし、高齢の方で誤嚥リスクが高い方の食事は命がけです。食事は楽しく美味しくがモットーの私も緊張する業務になります。料理をお膳立てすれば自分で食べれる方は自分で食べて頂きますが、各フロア10名中3~4名の方は自分では食べることが出来なく食事の介助にあたります。1人で4人の食事介助は大変なので看護師の方にお願いし手伝ってもらいます。食事介助は「これはハンバーグですよ、次はほうれん草のお浸しですよ」などこまめに声掛けし食べて頂きます。人によってはお口に入れた食べ物を嚥下するまでかなりの時間を要し、食事が終わるまで1時間くらいかかる掛かる方もいます。この嚥下を見届けるのが食事介助での最重要項目です。嚥下を確認しないと誤嚥性肺炎の可能性があり、高齢者の死亡原因の大きな比重を占めています。楽しい食事、されど命がけ。

実際に私の勤務した十数年の間に誤嚥性肺炎で亡くなられた入居者は数十人いました。介助が原因というより高齢で嚥下機能も弱くいつ誤嚥性肺炎になってもおかしくない方ばかりで、言い方が悪いが時限爆弾を抱えている状態です。嚥下が弱い方の家族にはあらかじめ「これこれこのような状態の為いつ誤嚥性肺炎になってもおかしくない状態です。誤嚥性肺炎で亡くなることが考えられます。」と説明し納得して頂いています。どうしても納得できない家族の方には経管栄養や胃ろうを医師交えて相談していました。

経管栄養:鼻から管を通し直接胃に栄養剤を落とす方法

胃ろう:お腹から胃まで穴をあけ管を通し直接栄養剤を入れる方法

ほとんどのご家族は「食事を直接摂らせてあげて下さい、食事中に何かあってもしょうがないです」とのお話を頂いて食事介助させてもらいました。

「食べれなくなったらおしまい、それが寿命だ」と言っている家族が殆どでした。

ではなぜ胃ろうや経管栄養の方がいるかと言うと、その殆どが一度誤嚥性肺炎で病院に入院し、病院では食事が食べれないとほぼ経管栄養か胃ろうにして施設に戻ってきます。家族の方がいざ入居者の方の「死の間際」に直面するとどうして良いかわからず「食事が摂れないなら経管栄養や胃ろうに」と進める医師の言う通りにしてしまうからです。家族にとっては本当に難しい選択です。食べれなくなったら『寿命』と思う反面、『何もしないで見殺し』との考えの狭間で悩んでの選択になります。

終末期における食事にもいろんな葛藤があり、難しい選択が迫られます。

美味しく楽しい食事、なかなか難しいです。

 

因みにこの経管栄養や胃ろうの直接の作業は看護師になります。管がしっかり胃まで届いているかを確かめます。管から少量の空気を流し込み胃の音を聴診器にて聞き取ります。しっかり胃に届いてなく栄養剤を入れるとこれまた誤嚥性肺炎になります。

 

食べるのが好きで人の倍の量を一生懸命食べる私にとって高齢者の食事はカルチャーショックでした。食べる量の少なさ食事のスピード、嚥下機能、命がけの食事、考えさせられることがたくさんありました。

 

食事が終わるとかたずけトイレ介助及びオムツ交換、順番にお風呂介助に移ります。お風呂は1週間に2回、順番になります。お風呂は日勤者及び早番で回します。

ほとんどの方は食事が終わると自分の部屋に戻ります。車いすからベットに移乗させますが、この移乗させる業務がまた慣れないと大変です。移乗やトイレ介助などで腰痛を発生させる職員が多数います。介護の仕事は腰痛との戦いです。腰痛になったことがない人の方が圧倒的に少ない業種です。介護の仕事の不人気の原因の一つにもなっています。

自宅で生活ができない方が入る施設の為、ほとんどの方が自力で歩くのが難しい方です。7割くらいの方は車いす生活になります。歩ける方もいるのと思う方もいるかも知れませんが、歩ける方のほとんどは極度の痴呆症の方になります。

移乗方法を極められるかどうかがその職員が辞めずに長く働いていけるコツになります。私は男性で力が強く移乗に関してはそれほど苦にはなりませんでした。ただし、小柄の女性職員はこの移乗が大問題です。

移乗の研修が施設の重要課題になりました。

この問題は解決しなく腰痛で苦しんでいるケアワーカーは多数います。移乗技術向上の為の研修で何とかしようと何度も何度もしましたが結局腰痛の解決はしないまま「なあなあ」になって行きました。

 

腰痛を何とかしようと声が上がるのはそれから数年後になります。

50人以上働く方がいる事業所は『衛星管理』の国家資格者が必要になります。この資格者の仕事の一つに快適な職場環境作りがあります。私が資格者になり動き出すのはまた後日記載したいと思います。

 

お風呂が終わり朝食から次は昼食に移ります。昼食介助は遅番の仕事になります。この昼食前にトイレ誘導及びオムツ交換、食堂に移動させるまでが早番の仕事、その後自分の昼休憩になり、入居者の食事終わりに各部屋までの誘導及びトイレ介助、オムツ交換後15:00にて早番終了。早番の仕事はここまでになりますが、時間にゆとりが有る時は入居者を外に連れ出して広いお庭の散歩などに行きます。

因みにこれらの行った業務すべてをパソコンに打ち込みすべての入居者の行動を把握します。食事形態からトイレ誘導の回数までパソコンに打ち込みます。このパソコン業務も「メンドクサイ」ですが、のちのち何かあった時の重要な証拠になり職員を守ることに繋がってきます。

 

早番さんお仕事お疲れ様!

 

 

施設オープン

施設がオープンし(特別養護老人ホーム リトルガーデン)初めて利用者が入ってきました。最初に入居者になった方は井上さん含む3名でした。(私の担当フロア)

 

*施設名及び登場人物の名前はすべて仮名です。個人情報保護の観点から特定は勘弁して下さい。

 

井上さんはおっかなびっくり不安定な歩行をします。痴呆があり、言葉が通じているのかいないのか?私が「井上さん始めまして、職員の鈴木と申します、よろしくお願いします。井上さんは「おう」との返事のみ、そしてふらふら施設の廊下を行ったり来たり、転倒の恐れがある為とりあえずついていきました。何度声をかけても「おう」との返事のみ。

私「井上さんお腹空きました?」

井上さん「おう」

私「疲れませんか?)

井上さん「おう」

私、「今日はいい天気ですね?」

井上さん「おう」

私、言葉通じているのかな?理解できてるのかな?

私、「井上さん歳はいくつになりました?」

井上さん「おう」

私「井上さんここはどこですか?」

井上さん「おう」

私、「井上さん今の総理大臣は誰ですか?」

井上さん「おう」

あれ、井上さんは言葉が通じていない、これが痴呆の症状なんだ。

初めての痴呆症の方との出会いでした。今まで30年ほど生きてきた中で痴呆の方やお年寄りとのかかわりがほとんどなく衝撃を覚えました。

一見言葉が通じていそうなのに実際には通じていない、見た目は普通に話が出来そうなのに出来ない、どうやって接していけばよいのやら。そうこうしているうちに井上さんは突然廊下で放尿を始めました。私、いきなり修羅場、他の職員に助けてもらいトイレ誘導とその処理。初日から衝撃だらけ。自分の今までの常識とのかけ離れた行動のオンパレード。

他の入居者の方も車いすであっち行ったりこっち行ったり、話しかけても返事もありません。他の施設で働いていた方に聞くと、「痴呆の症状だから見守りだけで安全を確保していれば良いよ」と言われ、見守りに徹していきました。

 

食事の時間になると、本能のみで食らいつくように食べている人、食事が目の前にあるのにただただボォーとしている人、食べたいのに自分では食べられない人など。

食事も普通食、刻み食、ミキサー食。飲み物も普通のお茶、トロミを付けたお茶。嚥下機能によって分けられていました。

 

普通食:健常者が不通に摂る食事形態

刻み食:副食(おかず)を細かく切って食べやすい大きさにした食事形態

ミキサー食:副食をミキサーで刻みトロミ剤を加えて嚥下しやすくした食事形態

 

その他に主食(コメ飯)が普通の炊き方とおかゆにしたもの、ミキサー後トロミ剤を加えたものに細かく分けられていました。

お年寄りは嚥下機能が低下している方が多いので食事にはとても気を使いました。

嚥下機能とは食べ物や飲み物の飲み込む力の事を言います。嚥下機能が下がっている方を無理な食事形態で食べさせるとむせてしまい、誤嚥性肺炎をこじらせてしまいます。

入所に当たり家族の方に普段の食事状況を細かく聞き、本当に食事には気を使いました。

 

食事の他に大変なのがトイレ誘導です。頭がしっかりしている方はたとえ歩けなくても「トイレに行きたい」と言って下さるので、その都度誘導してあげればすみます。足腰はしっかりしているのに尿意の訴えができない方が大変でした。定期的にトイレ誘導してもなかなか排尿排便をしてくれなかったり、トイレ誘導時には排尿排便をしてくれなかったのにトイレを出てすぐに漏らしてしまったり、慣れるまではこのトイレ誘導がとても大変でした。普段車いすを使用している方をトイレ誘導する時の介助もなかなか大変です。便器に座らせる為に手すりに摑まってもらい介助者がパンツをずらし(介護用リハビリパンツなど)便器に移動させます。立てない方なので支えながらパンツを降ろす、この介助も慣れないとなかなか難しかったです。

寝たきりの方は基本オムツです。定期的にオムツ交換をします。オムツ交換は慣れるまでに時間が掛かります。寝たきりでも理解力があり拘縮がない方であればこちらに協力してくれるのでオムツ交換もスムーズに出来ます。(拘縮とは体の関節などが固まってしまい動かない曲げられない硬くて曲がらない方、腕や足、股関節など)しかし理解力がない方で何をするにも抵抗する方のオムツ交換は大変の一語に尽きます。

抵抗と書きましたが、入居者によっては暴れる暴言を吐く噛みつくなど酷いもんです。蹴られる殴られるしょっちゅうです。特に男性入居者で女性ケアワーカーだと余計に酷いらしく、介護に慣れるまでは泣きそうになりながらオムツ交換をしていた方もいます。

介護される方のDVをよく言われますが、実際には介護する側が受けるDVもあります。施設で働くケアワーカーが受けるDVはたくさんありますし、経験しなくては解らない実情があります。

このブログを通じ、その実情を次回から少しずつ話していきたいと思います。

 

 

私の介護日記

元介護職員のアラフィフのおっさんです。

現在は介護の仕事から離れて自由気ままな自営業をしています。

 

私はとある特別養護老人ホームに十数年勤務していました。

辞めて数年経ちますが、老人ホームの勤務実態や入居者の方との日常のやり取りを書いていこうと思います。余りにも衝撃を受けた事や、おもしろかった出来事、老人ホームを運営していくためにやらなくてはならないいろんな業務がありました。経営者ではありませんが、介護以外の業務を多数こなしていた為、一般介護職員と違う業務や視点で書いていこうと思います。

 

特別養護老人ホームは介護度が付いているお年寄りが最後の拠り所として暮らしていける為にある施設になります。病院とは違い、『治療目的』ではなく『暮らし』をしていく終の棲家と考えて下さい。

一昔前と違い現在は介護度が比較的高い方しか入れない(3以上)入りずらい施設の為、一般家庭ではなかなか介護が難しい方が多く入居しています。

足が不自由な為自分一人では生活ができないお年寄りから、足腰は達者だが痴呆(言い方が悪いがボケ老人)の方、完全に寝たきりの方、いろんな入居者の方がいます。

いろんな入居者の方がいるので、思いがけない出来事が多々起きます。一般常識では測りしえない状況に陥ることもあります。

私はこの仕事につくまで介護と言う仕事や、お年寄りとのかかわりがほぼない生活をしていました。転職を考えている時にとある特別養護老人ホームがオープニングスタッフを募集するとのことで応募し、開店準備から携わることになりました。割と大きな施設で、入居者100名、ショートステイ20名、デイサービス30名ほどの規模になります。(始めは少人数から徐々に増えて行き、最終的な人数になります)職員も正社員パートを含め100名を超す規模になります。ある田舎の山と川に囲まれた空気がおいしい以外何も娯楽がない場所にこの施設は完成しました。

オープン前の研修にこれから職員になる方が集められました。職員は地元のおばちゃん、福祉大学を出たばかりの新卒さん、私のように他業種から転職してきたサラリーマン、看護師さんなどなど。中には他の施設で働いていたベテランさんもいました。簡単な自己紹介のあとに看護師が主になっての研修を受けました。

研修では車いすの操作方法、目が見えない方の誘導方法、おむつ交換の方法、移乗の仕方などほぼすべてが初めての内容であり、介護職員としてやっていけるか不安になりながらの研修でした。研修では何するにもおっかなびっくり、不安しか残りませんでした。

 

研修が終わり人員配置をし、あっという間しオープンし、訳も分からずに私の介護職員人生が始まりました。私は介護職員(ケアワーカー)として働き始めました。

主な配置は、介護職員(ケアワーカー)看護師、事務員、ケアマネジャーなど、食事は外部の業者が同施設内で作ります。

介護職員の部署も、ロング入所、ショートステイ、デイサービスの3部署に分かれます。私はロング入所(この施設を終の棲家と考える方)の部署になりました。このロング入所の方も100人になるのでA棟B棟C棟D棟E棟と細かく分かれ、なおかつA-1、A-2などロング入所の方でも10部署に、各フロア10名づつの振り分けになりました。この施設では入居者1名1部屋あり、全員個室になります。

このように人員配置振り分けで、入居者の受け入れを待ちました。因みに私はC-1、新卒の若い子がリーダーになり、当時30歳の私はその部下との位置づけで何もわからないまま介護職員としての人生が始まりました。人数は各フロア4人~5人の職員+補助のおばちゃん職員が配置されました。

 

因みに研修期間はわずか3日間、4日後からは少しずつ入居者の方が見えられ、入居されていきました。

 

入居者が見えてからの事はまた後日記載させていただきます。